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基礎データ | |
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全長 | 7.07m |
全幅 | 3.14m |
全高 | 2.03m |
重量 | 14.5t |
乗員数 | 2名+兵員20名 |
装甲・武装 | |
装甲 | 6-13mm |
主武装 | 7.62mmSGMB重機関銃若しくは14.5mmKPV 重機関銃 |
機動力 | |
速度 |
44km/h(路上) 11km/h(水上) |
エンジン |
V型6気筒ディーゼル 240hp |
懸架・駆動 | トーションバー式 |
行動距離 | 240km |
出力重量比 | 16.6hp/t |
BTR-50は、ソビエト連邦がPT-76水陸両用戦車を基に設計した水陸両用式装甲兵員輸送車である。第二次世界大戦後のソ連製の装甲兵員輸送車はすべて装輪式であるのに対し、BTR-50は無限軌道を装備するのが特徴である。
BTR-50は、1952年に開発され1954年にソ連地上軍に制式採用された。BTR-50は、PT-76と同様に滑らかな形状の車体をしており、水上走行時には車体左右の浮き袋を膨らませて浮力を得て車体後部両側のハイドロジェット推進で推進力を得る。
BTR-50は、ソビエト連邦軍及び東ドイツ国家人民軍において機甲師団の隷下にある自動車化狙撃兵連隊に配備されたが、装軌式故に製造及び整備維持にかかるランニングコストが高くついたためソビエト連邦軍といえどもBTR-50による全歩兵部隊の自動車化は財政的に不可能なため、後継のBTR-60では調達費及び整備維持費用の安く付く装輪式に逆戻りした。以降のソ連における装軌式の兵員輸送車輌の登場はBMP-1歩兵戦闘車の開発を待たねばならない。
運用上も使い勝手の良い車両ではなかった。PT-76のコンポーネントをそのまま流用しているため、エンジンが車体後部に位置しており、兵士は上部のハッチからしか乗降できず、さらに船型の車体はよじ登るのに苦労を強いた。このためソビエト国内ではBMP-1と入れ替わる形で第一線から姿を消し、余剰となったBTR-50は友好諸国に輸出、供与された。
しかし、車体構造は堅牢で、供与先の各国では長く使用された。特に指揮統制車仕様はワルシャワ条約機構加盟国で広く使用されており、フィンランド国防軍ではデジタル式戦場通信ネットワークシステムを改修によって搭載した。BMP-1就役後も生産は1970年代まで継続され、各型合わせた総生産数は約6,500両に及んでいる。
また、チェコスロバキアとポーランドにおいてはBTR-50の発展型としてOT-62 / TOPASが開発・製造されており、エジプトとシリアが1967年の第三次中東戦争や1974年の第四次中東戦争で運用している。第四次中東戦争ではエジプトが序盤のスエズ運河渡渉に投入し、成功を収めている。さらに、イスラエル国防軍も鹵獲したBTR-50やOT-62 TOPAS を運用していたが、イスラエルが保有していた車輌は後のレバノン内戦の際に、シリアやPLOと対立している点で利害が一致していた南レバノン軍やレバノン軍団などに軍事援助の一環として供与された。南レバノン軍で使用された車両の中には、野戦救急車型に改造された物も存在する。