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基礎データ | |
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全長 | 6.735m[1] |
全幅 | 3.15m[1] |
全高 | 2.069m[1] |
重量 | 14t[1] |
乗員数 | 3名[1] |
乗員配置 | 乗員3名、歩兵7名[1] |
装甲・武装 | |
装甲 | 26mm(砲塔正面)[1] |
主武装 |
30mm機関砲2A42×1 9M111 ファゴットまたは 9M113 コンクールス対戦車ミサイル発射機×1 (車内に4発搭載) |
副武装 |
PKT7.62mm同軸機銃 AGS-1730mm自動擲弾発射機(一部の車両に装備) |
機動力 | |
速度 |
65km/h(整地)[1] 45km/h(不整地) 7km/h(水上) |
エンジン |
UTD-20 V型6気筒液冷ディーゼル 300hp/2,000rpm[1] |
行動距離 | 600km[1] |
1966年に採用されIFVの基礎を築いたBMP-1だったが、ソ連地上軍が運用する中で様々な課題が浮き彫りになった。主砲の2A28 73mm滑腔砲は低圧のため砲弾が横風の影響を受けやすく、500m以上になると命中率が大幅に下がった。対戦車ミサイルである9M14(AT-3)は、手動指令照準線一致誘導方式で操縦する必要がある上に飛翔速度が遅く、発射時に出る大量の噴煙は自らの姿を晒す原因となった。さらに、装填時には車外に飛び出してレールにミサイルを取り付け、動翼を展開する必要があった。そのため、ミサイルの誘導中や装填中に攻撃を受けた際、反撃しにくい欠点があった。
そこで、1970年代に入るとクルガンスキー自動車工場とチェリャビンスクトラクター工場で兵装を換装したBMP-1の改良型の開発が始まった。開発の中心は、兵員を8名から7名に減らすが、命中率の高い主砲と新型の9M113(AT-5)対戦車ミサイルへ兵装を更新することだった。2社で合わせて5種類の試作車両が作られた[1]。
5種類の試作車両は1972年から1974年の間に設計され、試験と性能比較を経て、最終的に1980年にオブイェークト675がBMP-2として採用された[1]。
名称 | 設計 | 兵装 |
---|---|---|
オブイェークト675 | クルガンスキー自動車工場 | 2A42 30mm機関砲とPKT 7.62mm機関銃1門、9M113(AT-5)を搭載した2人用砲塔を搭載。 |
オブイェークト680 | クルガンスキー自動車工場 | 2A42よりやや短銃身の2A38 30mm機関砲とPKT 7.62mm機関銃1門、9M113(AT-5)を搭載した1人用砲塔を搭載。 |
オブイェークト681 | クルガンスキー自動車工場 | BMP-1の主砲を長砲身の2A41ザルニッツァ73mm滑腔砲(上下左右のスタビライザーを追加)に換装し、副武装をNSVT 12.7mm機関銃・PKT 7.62mm機関銃各1門に強化、さらに9M113(AT-5)を搭載。 |
オブイェークト768 | チェリャビンスクトラクター工場 | BMP-1の主砲を2A41ザルニッツァ73mm滑腔砲に、副武装をNSVT 12.7mm機関銃に換装し、9M113(AT-5)を搭載。 |
オブイェークト769 | チェリャビンスクトラクター工場 | 2A42 30mm機関砲とPKT 7.62mm機関銃2門、9M113(AT-5)を搭載した、2人用砲塔を搭載。 |
BMP-2の車体はBMP-1によく似ており、主機はUTD-20ディーゼルエンジンの改良型であるUTD-20S1が搭載されるなど、駆動部はほぼ同じである。重量増加のため一時期水上航行機能は取り外されたが程なく復活し、BMP-1と同じく浮航が可能となった。
BMP-1との最大の違いは大形化した2人用の砲塔で、砲手と車長が搭乗する。BMP-1では車長席から全周視界が得られなかったが、BMP-2では車長席が砲塔に移ったことで全周視界を得られるようになり、戦闘時に砲手と意思疎通しやすくなった。搭乗する兵員は7名で、6名の兵士は車体後部の兵員室に、3人がけの座席2列に背中合わせに座るのはBMP-1と同じである。残る1名は砲塔の左前方、操縦士の後ろの座席に搭乗する。ここはBMP-1では分隊長の席だったが、後部兵員室と隔離されており降車や兵員の指揮に不便なことから、前席にはPKM機関銃を装備する分隊支援火器手の座席となった[1]。車体には銃眼(ガンポート)が設けられており、搭乗している兵士も携行している銃で発砲できる。銃眼はBMP-1と同じで、車体左右に3箇所ずつ、後部乗降ハッチに1箇所あり、左右最前方の2基は分隊支援火器であるPK/PKM用に台形をしており、残りの5基はAKM・AKS-74用に円形をしている。
主砲には2A42 30mm機関砲が搭載され、同軸機銃にPKT 7.62mm機関銃1門が付属する。2A42は、T-72主力戦車と同じ上下左右方向の2E36-1スタビライザーで安定化されており、昼夜兼用の1P3-3照準器とBPK-1-42熱画像照準器で照準する。車両だけではなくヘリコプターや航空機などの対空目標の撃墜のため、-5°の俯角から74°の仰角をかけることが可能である[1]。2A42の弾薬には徹甲弾・曳光榴弾・通常榴弾の3種類があり、二系統の給弾装置で弾薬の種類を切り替えることができるほか、発射速度は200-300発/分と500発/分を選択できる。
対戦車ミサイルは、初期生産車のみ9M111ファゴット(AT-4)、量産車には9M113コンクールス(AT-5)が搭載された。いずれも、照準しておけば自動的に飛行する半自動指令照準線一致誘導方式で、装填も砲塔の発射筒に装填するのみで簡便となった。この他、砲塔には防御のために煙幕発射機を搭載することが可能である。
1980年から生産と配備が始まったBMP-2は、1978年から続くアフガニスタン侵攻に投入された。BMP-1と異なり仰角をとることが可能となったため、ムジャーヒディーンが積極的に行った輸送車列の襲撃の際には、高台に陣取ったムジャーヒディーンに反撃することができるようになった[1]。アフガニスタンでの戦訓から、AGS-17自動擲弾銃を搭載する車両もあったほか、1982年以降は追加装甲を装備したBMP-2Dの配備が始まった。しかし基本設計はBMP-1とほぼ同じだったことから、車体の居住性は悪く長時間の乗車は困難だった。また、車体の装甲も貧弱で、RPG-7などの擲弾発射機には無力だった。そのため、アフガニスタンでは兵員は砲塔後方など車体の上に跨乗して、ムジャーヒディーンが攻撃してきたら散開して反撃するという乗車法をとり、本来の「装甲に守られた状態で乗車戦闘を行なう」というコンセプト自体が消えうせてしまった[1]。抜本的な改良は、水陸両用戦車から発展したBMP-3の登場を待たなければならなかった。しかし、BMP-3の配備がソ連崩壊と重なったため、予算不足などからBMP-2からBMP-3への更新は進まず、ロシア陸軍の歩兵戦闘車の主力をBMP-2が長らく占めることとなった。近年では近代化改修により、車長用と砲手用サイトが第2世代IR装置に変更され、砲塔部分も9M133 コルネット対戦車ミサイルが左右の連装式発射機に装着され、機関砲も2A42 30mm機関砲から2A72 30mm機関砲へと更新されたBMP-2Mが多数配備されている。 またロシア・ウクライナ戦争ではウクライナ軍、ロシア軍双方が使用し、ロシアにおいてはドローン対策のゲージ装甲を車体側面、車体上部に設置したBMP-2 675-sb3KDZと呼ばれる改良型も配備されている。
BMP-2はBMP-1と同様に東側諸国のソ連友好国に輸出されたほか、チェコスロバキアとインドではライセンス生産も行われた。ソ連崩壊やドイツ再統一後は、東ドイツ陸軍やポーランド陸軍で退役したが、東ドイツの車両がフィンランド陸軍に配備されるなど、約20ヶ国で運用されている。
退役国