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SUWA
プロフィール
リングネーム SUWA
ジュードー・スワ
諏訪 高広
本名 諏訪 高広
ニックネーム 悪党
身長 180cm
体重 90kg
誕生日 (1975-08-31) 1975年8月31日(48歳)
出身地 鹿児島県川辺郡川辺町(現:南九州市
所属 フリー
トレーナー アニマル浜口
ウルティモ・ドラゴン
デビュー 1997年5月11日
引退 2013年5月11日
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SUWA(スワ、1975年8月31日 - )は、日本の元プロレスラー実業家。本名:諏訪 高広(すわ たかひろ)。

受身の名手として知られており、硬派な風貌を持ち怒ると誰にも止められない危険なファイトスタイルで人気を博している。落語演芸イベントプロレスを企画、運営する合同会社スワプランニングの代表を務めている。

来歴

デビュー前 - 2004年

鹿児島県立薩南工業高等学校卒業後に東京の建設会社に就職してアニマル浜口トレーニングジムに通い体作りをしてリングスの入門テストを受けるが不合格。その後、ウルティモ・ドラゴンが設立したプロレススクール「闘龍門」の1期生の募集に合格して同期生の黒木克昌(旧:マグナムTOKYO)、大島伸彦(現:CIMA)、藤井達樹(現:ドン・フジイ)と先発隊としてメキシコへ渡り、大島と藤井の2人とルード(悪役)ユニットC-MAXを結成(後にTARUとなる多留嘉一が加入)。

1997年に正式デビュー。1999年、闘龍門JAPANに日本逆上陸として登場後、大暴れぶりで団体の「強さの象徴」と言われたが、怪我に悩まされた。普段はコミカルな試合が多いフジイと衝突したことがあり、一時ユニットは空中分解、SUWAも会社を無断欠勤するという事件が起きている。その後復帰したものの、処罰として第1試合での試合を義務付けられた。フジイとは後に和解し、ユニットも元通りとなった。

闘龍門での晴れ舞台は2004年2月6日、博多スターレーン大会でマグナムTOKYOを破ってのUDG3代目王者となった時であった。この時は怖いマグナム(「川崎モード」と言われている)を引き出している。同王座は、防衛戦を1度も行わずに同年4月に返上した[1]

闘龍門JAPANが改称しして再出発した新団体DRAGON GATEが設立されると、1シリーズだけ参戦し同年8月22日、退団した。

2004年 - 2007年

DRAGON GATE退団後はフリーランスとしてプロレスリング・ノアに参戦。参戦早々、丸藤正道&KENTAが持つGHCジュニアヘビー級タッグ王座リッキー・マルビンと組み挑戦。以後もシリーズにはフル参戦しており、闘龍門〜DG時代と変わらぬ暴れぶりと無鉄砲さで強烈な印象を残す。一方、時折ノアの試合中継においては解説も行い、リング上での暴れっぷりとは対照的に冷静・的確な解説を行った。

ノアからは給与形態を除けば実質は所属選手に準ずる扱いを受けていたと見られる。通常、ほぼ純血で行われるノアの選手会興行(2005年以降。会社の備品を無断で使用したり、差し入れを勝手に食べたりするなどしたため、ペナルティとして強引に参加させられた、ということになっている)や、プロレスリング・セムにも参加している。また、2006年8月には通常ノア所属の若手、中堅選手が派遣されるヨーロッパへ潮崎豪と共に遠征している。

2006年3月に永源遙が引退したことを受けて「これからの第1試合はボクが引き継ぎます」と宣言。永源のイメージカラーであったピンクを基調としたコスチュームで登場したり、コミカルなムーブも取り入れた試合も行うようになる。前後して、かつての盟友TARUが主戦場とする全日本プロレスへの進出を仄めかす発言を残していたが、11月には逆にVOODOO-MURDERSの面々をセムのマットへ呼び込み、その勢いのまま本家ノアの12月10日日本武道館大会にてVOODOO-MURDERSのメンバーと組み田上明組と対戦した。しかし、同カードでの敗北後、マイクアピールにてノアに「思い出作りありがとう御座いました」という感謝の言葉を述べ、続けて2007年春にレスラーを引退することを発表した。

2007年1月21日、日本武道館で行われたノアでのラストマッチではSUWA&高山善廣&鈴木みのる組 VS 丸藤正道&力皇猛&KENTA組の豪華6人タッグが組まれたが、味方の高山善廣・鈴木みのるに対してブルーボックスで攻撃するなど暴走ファイトを展開し、最後は味方からも含めフィニッシュ・ホールド5連発(丸藤の不知火、力皇の無双、高山のニーリフト、みのるの裸絞め、KENTAのgo 2 sleep)を喰らいマットに沈んだ。2月9日ウルティモ・ドラゴンと初タッグを組んでTAJIRIと対戦。2007年2月17日の全日本プロレス両国大会にも出場(同団体へ初、かつ最後の参戦)し、佐々木健介らと対戦した。

3月11日に行われた日本での引退興行(後楽園ホール)では、第1試合でCIMAとの再会マッチ(5分1本)を行い時間切れ引き分け、そしてメーンの引退試合では近藤修司とシングルマッチ(無制限1本)を行い、敗れた(16分0秒、ラリアット→片エビ固め)。この興行には、SUWAが尊敬する3人の師匠(アニマル浜口、ウルティモ・ドラゴン、永源遙)も来場した。また、試合後には秋山準やKENTAらノアの選手たちから胴上げされ、引退の花道を飾った。

5月14日にSUWAとしてのラストマッチが、レスラーとしての出発点であるメキシコのアレナ・メヒコにて行われた。入場時にマッハ隼人のマスクを被って登場、試合は師匠ウルティモ・ドラゴンのASAI DDTで敗北しレスラー人生を一旦終えた。

2007年 - 2012年

引退後は各地を旅行して回った後、実業家に転身した。落語、演芸、イベント、プロレスを企画、運営する合同会社スワプランニング(So WHat Planning LLC)を設立して代表となる[2]

なお、引退後もノアの会場へ足を運ぶ姿を見せるなど、ノアとの関連性は継続していた。

2011年、NWA公認レフェリーとしてZERO1に突如参戦。菅原拓也と結託して悪徳レフェリーとして裁いた。

2012年11月7日、後楽園ホールで行われたウルティモドラゴンデビュー25周年記念興行のメインに突如としてブラック・タイガーのマスクを被り乱入、ブラック・タイガーが増殖するという事態を演じ、その後ウルティモドラゴンの勝利への一端を担った。

2013年 - 現在

2013年1月よりSUWAはプロレスラーとして復帰をする。復帰当初は、謎の覆面レスラー「マイバッハ谷口Jr.」を名乗り、引退前同様にプロレスリング・ノアを主戦場とする。

2013年1月6日の後楽園ホール大会、BRAVE対NO MERCYの第一回戦、モハメド・ヨネvs平柳玄藩の試合中、マイバッハ谷口とともに、マイバッハと同じ覆面を付け、全身黒ずくめという姿の男が出現した。平柳の口からNO MERCYの新メンバーとして紹介される[3]。このときはまだ名前は公開されていなかったが、その後、公式サイトで「マイバッハ谷口Jr.」として今後の参戦が発表された[4]

初戦となった1月17日名古屋テレピアホール大会では、平柳と組んで、ブラバド兄弟と対戦。かつてNO MERCYに所属していた金丸義信の得意技であるタッチ・アウト(旋回式ブレーンバスター)を繰り出して勝利した[5]

2戦目となる1月27日の大阪ボディメーカーコロシアム大会では、同じく平柳とのコンビで南条隼人冨宅飛駈と対戦。今度は「元祖増殖仮面」として知られる新日本プロレススーパー・ストロング・マシンの得意技である魔神風車固めで勝利した。また、マイバッハ谷口Jr.は平柳自身がタッグベルトを奪取するために招聘した選手であることを明かした[6]

その後、さらなる継続参戦を重ね、得意技であるジョン・ウーを繰り出すなどした。そして、3月10日の横浜文化体育館大会にて、平柳とのタッグでリッキー・マルビンスペル・クレイジーが保持するGHCジュニアヘビー級タッグ王座へ挑戦。11分01秒、平柳が昇龍玄藩からのエビ固めでマルビンを仕留め、王座を奪取した[7]

3月31日、後楽園ホール大会でマイバッハ谷口と対戦し、敗北する。試合後、リング上で「2007年3月11日に引退したSUWAです。ノアからお世話になった恩義を返すのが男じゃないかと思いました。よろしく」とコメントし、正体を明かした。試合後のインタビューでは、復帰の経緯として、ノアが2012年末に主力選手が退団して経営上厳しくなり、かつて世話になった恩義を返すため自身が引退した覚悟を捨てて復帰し(自身の会社との二足のわらじとして)尽力したい旨と、二人のケンタ(KENTAと小橋建太)に導かれて復帰した旨を語った[8]

4月からはSUWAとしてノアにレギュラー参戦。NO MERCYにも引き続き加入した。SUWA名義での復帰第1戦となった4月13日後楽園ホール大会では、2度目のデビュー戦と位置付け、2月デビューの新人・熊野準と対戦を希望した。コスチュームも黒いショートタイツで、リングコールもデビュー時のリングネーム「諏訪高広」とコールされた。試合は新技のツイッター・ブロックで勝利したが、試合後は一変し、かつてのSUWAの悪党ぶりを解禁し、熊野やレフェリーに暴行、観客にも毒づいた。なお、熊野のことも冗談交じりではあるが「熊野先輩」と呼んだ[9]

5月11日、日本武道館での小橋建太引退興行にて頚椎を損傷、長期欠場に追い込まれる。

2014年10月、翌年1月に名古屋千種座にてSUWAプロデュース『FIGHTING』イベント『ヒーローの力』開催。六角形のリングで開催を行った。

12月後縦靱帯骨化症(厚生労働省特定疾患)であることが公表された。これは2013年の頚椎損傷での精密検査で発覚し、レスラーとしてリングに上がることも完全にドクターストップされていることが発表された。

タイトル歴

みちのくプロレス
闘龍門JAPAN
プロレスリング・ノア

リングネーム

諏訪が用いたことがあるリングネーム(古い順)。

得意技

あまり器用とはいえないが、気迫を前に押し出す「薩摩隼人」なファイトを展開している。「七色のフェイスバスター」「七色の股間技」と表し、各種フェイスバスターやラフファイトを中心に試合を組み立てる。

FFF
トリプル・エフと読ませる。リバース・フルネルソンの状態で相手の体を垂直になるまで持ち上げ、そのまま前に顔面から落とすフェイスバスター。似ている技にリバース・タイガー・ドライバーがあり、これは相手を落とした際に掛ける方は尻餅状態となるが、FFFは両膝をつく格好となる。同じく似た技にペディグリーがあり、これは相手を持ち上げると同時に自身がジャンプするが、FFFは相手を持ち上げたあと、落としている最中にジャンプする点が異なる。
「Full Flat Face」の略とされているが実際には後付けで深い意味はない。
ノア時代にランニング式のFFFである「地デジ式FFF」という改良型も公開された。なぜ、地デジ式なのかは不明である。
ジョン・ウー
相手の腹部めがけての低空ドロップキック。蹴りよりも足で突き飛ばす形の技であり、喰らった相手は映画の演出方法であるワイヤーアクションの様に体を「く」の字にして飛ばされる。技の名前はこの演出方法で有名になった同名のアクション映画監督に由来する。現在は神田裕之が同型の技を同じ名前で使用している。
ツイッター・ブロック
2013年4月13日、SUWAとして本格復帰となった試合で熊野準を相手に初披露し勝利した技。変型の逆エビ固め(ボストンクラブ)。逆エビ固めを掛け、相手の両足を両脇に抱えたまま相手の両腕を自分の両腕でそれぞれ掴み、その状態のまま立ち上がり、相手を吊した状態でダメージを与える[10]
スイーター・ボム
ドラゴン・キッド限定の必殺技。ウラカン・ラナの勢いをそのまま利用し1回転、ジャンピング・ボムの形で叩き付ける切り返し技。
ジェットプール
相手を肩車し、さらにつま先を持ち上げ正座のような状態にしてから、前に顔面から叩きつけるフェイスバスター
ダイビング・エルボー・ドロップ
ランディ・サベージ式のフォームを見せる。タッグマッチ時は、相方が相手の股を開いて固定し、そこへエルボー・ドロップを投下した。
髓骸髏(ズイガイロウ)
座らせた相手の顔面を蹴り上げる。
一閃
変形首固め
その他の技

エピソード

マイバッハ谷口Jr.

マイバッハ谷口Jr.(マイバッハたにぐちジュニア)は、日本覆面レスラー。正体はSUWAであるが当初は詳細なプロフィールは一切公表されておらず体重がジュニアヘビー級クラスであることのみが発表されていた。

プロレスリング・ノアにフリー参戦し、NO MERCYのユニットに所属。同ユニットのメンバーであったマイバッハ谷口のジュニアヘビー級版として突如として登場した。ユニットメンバーからは通称「ジュニア」とも呼ばれた。

経歴についての詳細は、経歴の節を参照のこと。

特徴

得意技

タッチ・アウト

変型ブレーンバスター。相手を持ち上げた状態で旋回してから垂直落下式で決める。元NO MERCYのメンバーでノアを退団した金丸義信の得意技。

魔神風車固め

相手の片腕を背中側へ曲げて固定させて決める変型のハーフハッチ・ホールド。「元祖増殖仮面」スーパー・ストロング・マシン(新日本プロレス)の得意技。

ジョン・ウー

低い姿勢から相手の腹部めがけて上向きに蹴る変型ドロップキック

タイトル歴

GHCジュニアヘビー級タッグ王座

脚注

  1. ^ ドラゴンゲート公式サイト UDG選手権
  2. ^ SUWA式 AIRLINES
  3. ^ 「New Year Navig.2013」1月6日(日)後楽園ホール大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト2013年3月閲覧
  4. ^ 2013年1月ツアー『New Year Navig.2013』1・6後楽園大会『The First Navig.2013』1・14上尾~1・25宮崎大会『GREAT VOYAGE 2013 in OSAKA』1・27大阪大会、参加他団体、フリー、外国人選手 ※追加情報|プロレスリング・ノア公式サイト2013年3月閲覧
  5. ^ 「First Navig. 2013」1月17日(木)名古屋テレピアホール大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト2013年3月閲覧
  6. ^ 「GREAT VOYAGE 2013 in OSAKA」1月27日(日)大阪・ボディメーカーコロシアム大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト2013年3月閲覧
  7. ^ 「GREAT VOYAGE 2013 in YOKOHAMA」3月10日(日)横浜文化体育館大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト2013年3月閲覧
  8. ^ 「Spring Navig. 2013」最終戦 3月31日(日)後楽園ホール大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト2013年4月閲覧
  9. ^ 「グローバル・タッグリーグ戦 2013」開幕戦 4月13日(土)後楽園ホール大会 試合後コメント|プロレスリング・のあ公式サイト2013年4月閲覧
  10. ^ 「グローバル・タッグリーグ戦 2013」開幕戦 4月13日(土)後楽園ホール大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト
  11. ^ 「Spring Navig. 2013」~最終戦~3月31日(日)後楽園ホール大会に向けてマイバッハ谷口Jr.選手コメント|プロレスリング・ノア公式サイト