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NONノン STYLEスタイル
石田明(左)と井上裕介(右)
メンバー 石田明
井上裕介
結成年 2000年
事務所 吉本興業
活動時期 2000年 -
出身 baseよしもとオーディション
出会い 大阪市立大淀中学校
現在の活動状況 テレビ番組
劇場ライブ など
芸種 漫才コント
ネタ作成者 石田明
現在の代表番組 大阪ほんわかテレビ
過去の代表番組 NON STYLEのフリースタイル!!
こちらかきくけ公園前
このへん!!トラベラー
BS吉テレなど
同期 スーパーマラドーナ
大西ライオン
オードリー など
公式サイト プロフィール
受賞歴
2005年 第36回ABCお笑い新人グランプリ 審査員特別賞
2005年 第25回上方お笑い大賞 最優秀新人賞
2006年 第41回上方漫才大賞 優秀新人賞
2006年 第4回MBS新世代漫才アワード 優勝
2006年 第21回NHK新人演芸大賞 演芸部門大賞
2006年 第26回上方お笑い大賞 審査員特別賞
2007年 爆笑オンエアバトル 第9代チャンピオン
2008年 M-1グランプリ 優勝
2009年 S-1バトル 6ヶ月間チャンピオン
2010年 S-1バトル年間チャンピオン
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NON STYLE
YouTube
チャンネル
活動期間 2016年11月2日 (石田のチャンネルをコンビのチャンネルに変更したため、正確には2020年2月29日) -
ジャンル コメディ
登録者数 73万人
総再生回数 312,435,746回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年2月13日時点。
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NON STYLE(ノン・スタイル)は、石田明井上裕介による日本お笑いコンビ吉本興業東京本社所属。2000年5月14日にコンビ結成。NSC大阪校22期生と同期扱い。爆笑オンエアバトル第9代目チャンピオン、M-1グランプリ2008王者、THE MANZAI 2012・2013ファイナリスト(2013 第3位)。

メンバー

石田 明(いしだ あきら 1980年2月20日 - )(44歳)
ボケ・ネタ作成担当。既婚。身長173cm、大阪府立東淀川高等学校卒業。
立ち位置は下手(向かって左)。血液型B型大阪府大阪市出身。全身白の衣装を着用することが多い。しかし、白はあまり好みでなく、実生活では黒色の道具を使うことが多い。ツッコミの井上がナルシストになりきる場面ではツッコミ役になる。
2016年、劇団間座旗揚げ公演『恋の虫』で脚本を担当し、初めてミュージカルの脚本を手掛ける[1]
井上裕介(いのうえ ゆうすけ 1980年3月1日 - )(44歳)
ツッコミ担当。既婚。身長163cm[注 1](公称165cm)、神戸学院大学経済学部卒業。
立ち位置は上手(向かって右)。血液型はA型。大阪府大阪市出身。2005年からジャケットの下にタンクトップの衣装を着用することが多かったが、2015年からはワイシャツを着ている。ナルシストになりきる場面ではボケ役になる。
個人でDay of the legend(ミュージシャン)としても活動。また、期間限定でロックバンドflumpoolのサポートメンバーとしても活動していた。

来歴

元々2人は同じ中学・高校に通っていた。井上が「俺が大学落ちたら一緒にNSC行こうや」と言った事もあったが、石田は(父親が板前であったため)板前として就職が決まっており、井上は大学に合格したため進学した。

石田は板前修業をしていた2年の間に、高校時代の友人2人に誘われ「ほりごたつ」というトリオで心斎橋筋2丁目劇場のWachachaブレイクに一度だけ出演した。解散後は「ジャッジメント石田」と名乗り、ピン芸人となる。一方井上は、大学でパンクバンドを組んでいたが解散し、ストリートミュージシャンになろうとしていた。

石田の状況を知った井上による「俺がギターを弾くからお前がベースを弾け、合間に漫才をしよう」という誘いを石田が受諾し、2000年5月14日に「NON STYLE」を結成。結成直後は大阪・梅田駅の近くで路上漫才を行っていたが、地元より少し離れたところの方がいいのではないかとなって、神戸・三宮駅付近で行うようになった。最大で200~300人ほどの人を集め一晩で10万円を山分け出来るほどの人だかりだったという。 ときには徳井義実チュートリアル)や八木真澄サバンナ)が2人の漫才を見に来ていたこともあるという。初めて梅田で路上漫才を行った時には酔っ払いの男に漫才について2時間も説教をされ、その男を見返すために漫才だけに絞った。今では漫才の大会で何回も優勝をしているため、井上は「その男の人に感謝をしている」と発言している。

Baseよしもとのオーディションに受かり、2001年1月[2]に吉本興業に所属しプロデビュー。当初は笑い飯の哲夫に面白くないと言われ、何かと馬鹿にされており、このことに腹を立てていたが、これにより発奮して頑張ったことで面白いと認められるほどに成長して、哲夫さえも認めるほどとなった[3]

オーディション組だが、大阪NSC22期生(山里亮太南海キャンディーズ)、ダイアンスーパーマラドーナミサイルマンネゴシックス中山功太キングコングなかやまきんに君、久保田かずのぶ(とろサーモン)、林健(ギャロップ)、村本大輔(ウーマンラッシュアワー)など)、東京NSC5期生(大西ライオン三瓶平成ノブシコブシピース5GAPラフ・コントロール、遠山大輔(グランジ)、渡辺隆(錦鯉)、小田祐一郎(だーりんず)、とくこ)と同期扱いとされている。

2004年度から2007年度まで『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)に出場し、終始安定した成績を残した他、2006年度には9代目チャンピオンに輝くなどの活躍を見せた。

2006年、第4回MBS新世代漫才アワードで優勝し、同年末に初冠番組『NON STYLEのフリースタイル!!』が放送された。2007年までにお笑いの新人賞6冠を獲得、Baseよしもとのトップ組に昇格する。

2008年4月6日をもって、所属の選択を迫られたことで井上が8年間所属していたBaseよしもとを卒業し、ルミネに行くことを決め、東京進出。両名とも東京に住居を構え、以降は、京橋花月ルミネtheよしもと等に活動拠点を移す。

2008年、『M-1グランプリ』(テレビ朝日系列)で決勝進出し、優勝を果たした。続く2009年にも連覇を目指し出場、敗者復活戦から勝ち上がり決勝進出を決めている。

2010年12月23日には、S-1バトルのグランドチャンピオンで獲得した賞金1億円を使用し、さいたまスーパーアリーナにてお笑いライブでは過去最大規模となる1万2千人を収容して『NON STYLE NON COIN LIVE in さいたまスーパーアリーナ』を無料開催した(因みに、S-1バトル6月度月間チャンピオン時の賞金は、7月31日-10月12日 に行われた単独ライブ『NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜』で、来場者に配布した無料ステッカーの製作費に使用した)。

略歴

芸風

主に漫才である。ハイテンポでボケの手数の多さが特徴[10][11]。爆笑レッドカーペットの影響であり、世代であるとしている。基本的にコント漫才であり、井上の簡潔なフリに対し石田が常に2つ以上のボケを出し続けることでスピード感を演出している。

石田はコンビ結成当初、ギャグ的要素を多用することで「誰からも取り残されない漫才」を意識していた。ストリート漫才を続ける過程で現在のスタイルに変わっていった[12]

2007年まではカッコつけたがる井上を石田が「イキリ」(関西弁で意気がる、調子に乗るの意)とからかうことを特徴とする「イキリ漫才」と呼ばれるスタイルを主としていた[13]

2008年以降は「石田がボケた後井上が突っ込み、さらに自分自身の右太ももあたりをグーで殴り自省するのを井上が突っ込む」というスタイルの漫才へと変更し、『M-1グランプリ』ではこのスタイルを駆使して優勝を果たした(詳細後述)。なお、2010年以降は行っていない。しかし、YouTubeの投稿用の収録ライブでは行っていた。

漫才中に、石田が「あぁ〜井上ヤバイ! この話飽きてきた」と言って井上が続けていても、あの手この手で無理やり漫才を終わらせるボケを組み込む事もある。

ネタ作りは主に石田が担当している。二人とも即興性を好むということもあり、ツッコミの大半は井上がアドリブで作っている。また、井上は「石田が書いた台本を井上に見せずにネタをやる」→「台本を見せてからやる」→「それぞれ家に帰って覚える」という流れでツッコミを考えると共にネタの完成度を高めている[10]。井上は「人に見せたら、その人がネタについて新しく発想するかも知れない」としてネタ合わせ中は絶対に人には見せない。また、オーディション会場に出向いて、ストップウォッチで時間を計りながら、参加芸人のネタの内容を全部書き留めるという“偵察”も行うこともある[10]

またコントをすることもあり、キングオブコント準決勝進出の経験がある。

出囃子はKEMURIの『Prayer』。

エピソード

爆笑オンエアバトル

『爆笑オンエアバトル』には2004年度から2007年度まで出場し、10戦全勝という好成績を残した他、2006年度には9代目チャンピオンに輝くなどの活躍を見せた。

M-1グランプリ

『M-1グランプリ』には2001年の第1回大会から2009年大会まで9回出場した。

決勝進出まで
  • NON STYLEは結成から数年で関西の新人賞レースを総なめにし、上記の『爆笑オンエアバトル』でチャンピオンに輝いたりもするなど、関西では若い層を中心に圧倒的人気を誇っていたが、結成当初から出場し続けていた『M-1グランプリ』の決勝には1度も進む事が出来ていなかった。上記の『オンバト』同様、『M-1』においてもNON STYLEは井上の「イキリキャラ」を中心とした漫才を披露し続けていたが、石田はこの結果を受けて「今の漫才の形ではこの先は無い」「(「イキリ漫才」は)限界が見えていた」「それまでのスタイルを続けても、過去のネタを焼き回すだけ」[15]などと思うようになり、「今までやってた漫才のスタイルは捨て、新しい漫才を作る」という考えに行き着いたという(なお、井上にその事を打診した時は、当初は反対されたと語っている)[12][15]。また、それまでは関西を拠点に活動していたが、『M-1』で優勝するという思いを胸に上京も決意する。当然、関西での仕事は全て無くなり、また東京での知名度もまだまだ低かったために仕事は大幅に減ったという[25]
2008年
  • 出場8回目にして念願の決勝初進出を果たす。ファーストラウンドでは7番目に「人命救助」を題材としたネタを披露。テンポよくボケを繰り出し、見る者をしっかりと掴みながらハイスピードで疾走する漫才で爆笑をかっさらった。その結果、今大会のファーストラウンドにおいて唯一審査員全員から90点台を得るという高評価を受け、総合で700点満点中644点を獲得。暫定1位だったナイツ(640点)を抜いてトップに躍り出た。審査員の中で最高得点(95点)をつけた上沼恵美子は「大阪で私の番組によく出てもらってるけど、この2人、フリートークはあんまりおもしろくない(笑)。初めて漫才を見て『やるねんな』とビックリした」とコメントしていた[25]。また、他の審査員もNON STYLEに対しては殆どノーマークだったようで、漫才を見てかなり衝撃を受けたらしくCM中も興奮冷めやらず、NON STYLEへの評価を全員で話し合っていたという[25](これはNON STYLEが新しい漫才を直前まで隠していたことも奏功している[12])。しかし、この直後に敗者復活戦から勝ち上がってきたオードリーが649点を記録して1位通過となったため、ファーストラウンドを2位で通過して最終決戦へと臨むことになる。最終決戦ではネタ順が2番目となり、「ホラー映画」ネタを披露。1本目と同じく速いテンポでボケを繰り出すハイスピードな漫才で爆笑を誘った。そして最終的には審査員から7票中5票獲得[注 4]し、優勝を果たした。なお、石田は優勝が決まった瞬間から号泣していたが、それを横で見ていた井上も最初こそ石田を支えながら涙をこらえ気丈に振舞っていたものの、オンエアが終わった途端に緊張がほぐれて感情が溢れだし床に崩れて泣いてしまっていた[25]
    • 因みに第2回王者のますだおかだ以来、6年ぶりにファーストラウンドを1位以外の順位で通過しての優勝であり、また最終決戦で2番目にネタを披露して優勝した初のコンビとなった。更に第5回王者のブラックマヨネーズ以来となる決勝初選出初優勝となった[注 5]
  • 上述の通り、今大会から漫才のスタイルを変えており、「石田がボケた後で太腿をグーで殴って反省し、それを井上がまたツッコむ」という、いわば「普通の漫才の流れがありつつ、別の流れでもう一個笑いをとる」スタイルで挑んだ[15]。なお、石田はこのスタイルに対して「完全にM-1のためのネタ」「決勝のステージで受けることだけを意識した競技用の漫才であって、営業では受けない」と語るなど完全に割り切った考えを持っていた[15]。そのため「本番で受けるかどうか、むっちゃ不安だった」というが、「M-1に勝つには、そこまでやらないといけない」という思いから実行に至ったとの事[15]
    • 上述の漫才スタイルは完全に「M-1で優勝するために作られた」ものであったため、2018年現在は全く行われなくなっている。また、石田はこのスタイルを嫌っており、2016年10月4日放送の『EXD44』(テレビ朝日)に出演した際には「M-1(で優勝した時)のネタなんて全然好きじゃない」「二度とやりたくない」などと本音を明かしていた[26]
  • 大会終了後、審査員の島田紳助は「僕の中の圧勝でした」と述べ、上沼恵美子も「圧勝。私の中ではダントツでした」と述べるなど絶賛のコメントが相次いだ。また、オール巨人オール阪神・巨人)は「2、3年前から決勝に来てもおかしくない奴らだった」と述べており、前々からNON STYLEの事を高く評価していた事を明かしている。一方で松本人志ダウンタウン)は「2人を全く知らなかった。トークが苦手ということで『すべらない話』で会うことはないのかな」と冗談交じりに述べていた。このように漫才は高く評価された一方で「フリートークは下手(苦手)」と審査員から厳しく評される場面も多く見られた[27][25]
  • NSC卒業生ではない、俗に言う「オーディション組」からの優勝者はNON STYLEが初[注 6]であり、また彼らは優勝当時2人とも芸歴8年7ヶ月という、M-1グランプリで優勝を納めたコンビの中では最も芸歴が浅い芸人であった[注 7]
  • このように『M-1』で優勝を果たしたものの、世間では敗者復活戦から勝ち上がったオードリーの方に注目が集まってしまい、皮肉にも「優勝コンビよりも2位の方のコンビが大ブレイクしてしまう」という逆転現象が起きてしまった(この事は優勝直後に出演したバラエティ番組などで度々いじられていた)。また、この事がきっかけとなり、以降は「お笑いの賞レースでは優勝者以外の方が売れる」というジンクスが度々起こるようになった[28]
2009年
  • 2008年に引き続き、2009年大会においても連覇を目指すため、出場を表明[29]。歴代王者の再戦は、第3回王者のフットボールアワーが第6回大会に出場して以来となったが、優勝者が間隔を空けずに翌年においても連続で出場した例は今回のNON STYLEが初であった。結果は準決勝で敗退してしまうものの、その後敗者復活戦から勝ち上がり2年連続で決勝へ進出。ネタ順9番目に「ヤンキー漫画」のネタを披露して審査員から641点を獲得し、暫定3位であったナイツ(634点)を抜いて滑り込みで最終決戦に進出した。最終決戦では1番目に「時代劇」を題材としたネタを披露したが、直後に登場したパンクブーブーに満票を取られ、連覇は果たせなかった。
  • 上述のように歴代王者の再戦となったが、過去のフットボールアワーのような「間隔を空けて」ではなく「連続出場」であったため、前年優勝者のNON STYLEが今年も『M-1』に出場した事には賛否が分かれた[30]。2004年度M-1王者の山崎弘也アンタッチャブル)は2009年12月17日放送のラジオ番組『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』(TBSラジオ)において、間隔を空けて出場したフットボールアワーと比較した上で前年王者であるNON STYLEの再出場に苦言を呈していた。その一方で、2007年度王者のサンドウィッチマンはM-1・2009終了直後のよしもとオンラインで「自分達は(連覇を狙う)勇気がないから凄い」と賞賛していた。
その後
  • 規定上のラストイヤーであった2010年大会では不参加。5年ぶりの復活となる2015年大会では2001年 - 2010年大会までの歴代優勝コンビの片方[注 8]が審査員を務めることとなり、NON STYLEからは石田が審査員に選ばれた。

賞レース成績・受賞歴など

M-1グランプリ(成績)

結果 エントリーNo. 決勝戦キャッチコピー 備考
2001年 3回戦敗退 436[31]
2002年 準決勝敗退
2003年 3回戦敗退 1892[32]
2004年 3回戦敗退 124[33]
2005年 準決勝敗退
2006年 準決勝敗退
2007年 準決勝敗退
2008年 優勝[34] 4467 ストリート系漫才 ファーストラウンド 2位通過
2009年 決勝3位[34] 4603 敗者復活組、ファーストラウンド 3位通過

その他

出演

テレビ

現在の出演番組(テレビ)

レギュラー番組
準レギュラー番組

過去の出演番組(テレビ)

レギュラー番組
準レギュラー

メイン出演した特別番組(テレビ)

ラジオ

現在の出演番組(ラジオ)

過去の出演番組(ラジオ)

映像配信

映画

吹き替え

テレビアニメ

CM

舞台

書籍

Web

DVD・CD

DVD

CD

体験型ゲーム

単独ライブ

脚注

注釈

  1. ^ 2010年6月23日放送回『イチハチ』(毎日放送)の企画「モテたくて必死な芸能人No.1決定戦」出演時に発言。本当は163cmだが168cmと5cm多く言っていた時期があった。尚、現在の公式プロフィールでも2cmサバを読んでいる。base時代から相方石田にも「本当は163cmなのに165cmと偽っている」と度々ネタにされてきた。
  2. ^ 2017年8月30日放送回。「芸能界一ダサいコンビ名ロンドンブーツ1号2号説」を検証する為に、若手芸人200人にアンケートを実施し、ランキングが作成された。因みにロンドンブーツ1号2号は6位であった[18]
  3. ^ 石田は漫才の冒頭でこの言葉の意味を「関西弁で『格好をつけている』、『調子に乗っている』、『キザ』、『イライラする』、尚且つ『気持ちが悪い(キショい)』を合わせた言葉」という風に度々説明していた。また、石田が井上に対して「ベストイキリスト」「鳥肌製造機」などと様々な別名で呼ぶボケも存在していた。
  4. ^ 中田カウス大竹まことのみ、オードリーに投票していた。
  5. ^ 第7回王者のサンドウィッチマンも決勝初出場で優勝を果たしているが、彼らは敗者復活戦から勝ち上がっての優勝となっている。
  6. ^ 第6回王者のチュートリアル福田充徳もNSC卒業生では無いが、両方共NSC出身でないのはNON STYLEが初。
  7. ^ 結成から優勝までの期間ではフットボールアワーの「4年8ヶ月」や、ブラックマヨネーズの「7年」を越えているが、両者は「1994年デビューの芸人がそれぞれ1999年と1998年に結成したコンビ」であるため、芸歴では優勝当時NON STYLEよりも遙かに上であった。
  8. ^ ただし、第4回大会王者のアンタッチャブルは出演を辞退している。
  9. ^ 石田は木曜レギュラーとして毎週出演
  10. ^ 明日をつくろう」の合唱企画に参加のためVTR出演。
  11. ^ 井上は、第3話では「謎のお客さん」、第10話では「NON STYLE 井上」とクレジットされており、第12話でフルネームとなった。

出典

  1. ^ “寛平の劇団旗揚げ公演「恋の虫」でNON STYLE石田明がミュージカル初脚本”. ステージナタリー. (2016年10月21日). https://natalie.mu/stage/news/206289 2016年10月21日閲覧。 
  2. ^ てれびのミカタ ラジオのラララ LINEライブより
  3. ^ “NON STYLE 不仲だったM-1王者コンビ実名告白「嫌いやわ~」劇場でバカにされ”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年10月15日). https://www.daily.co.jp/gossip/2023/10/15/0016920219.shtml 2023年10月15日閲覧。 
  4. ^ “ノンスタ井上裕介、接触事故で謝罪 今後は「誠意をもって対応」”. オリコンニュース. (2016年12月13日). https://www.oricon.co.jp/news/2082943/full/ 2017年1月9日閲覧。 
  5. ^ “ノンスタ井上、接触事故で活動自粛”. オリコンニュース. (2016年12月13日). https://www.oricon.co.jp/news/2082951/ 2017年1月13日閲覧。 
  6. ^ “ノンスタ井上さんを書類送検 警視庁”. 産経新聞. (2017年2月1日). オリジナルの2017年2月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170202174933/http://www.sankei.com/affairs/news/170201/afr1702010014-n1.html 2017年2月1日閲覧。 
  7. ^ “ノンスタ井上さん、不起訴処分に”. 産経新聞. (2017年3月6日). オリジナルの2017年3月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170307044955/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170306-00000539-san-soci 2017年3月6日閲覧。 
  8. ^ ノンスタ井上、3ヶ月半ぶり涙の復帰 石田と漫才「ひとつひとつお返ししていく」”. オリコン (2017年3月31日). 2019年3月4日閲覧。
  9. ^ “NON STYLEが結成21年でファンクラブ開設、配信イベントやラジオ展開”. お笑いナタリー. (2021年5月1日). https://natalie.mu/owarai/news/426708 2021年5月1日閲覧。 
  10. ^ a b c TVでた蔵 2010年10月23日放送 トップランナー”. ワイヤーアクション (2010年10月23日). 2015年7月15日閲覧。
  11. ^ 「手数」と「スピード」の時代 NON STYLEが優勝した理由
  12. ^ a b c d カジサック KAJISAC (2018年10月18日). “NON STYLE石田さんと語りました”. YouTube. 2018年10月27日閲覧。
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  16. ^ a b 解散危機を乗り越えて/ノンスタイル石田明(上)”. スポーツニッポン (2009年1月22日). 2015年7月15日閲覧。
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  19. ^ お笑いポポロ(麻布台出版社)2008年5月号 p.50-51
  20. ^ 「万歳アンラッキー」第4章「アンラッキー芸人期」より。
  21. ^ DVD「NON STYLE LIVE 2008 in 6大都市〜ダメ男VSダテ男〜」収録内容]より
  22. ^ 2008年12月22日 日刊スポーツ 芸能面 他各紙紙面
  23. ^ いまさらファンクラブ | NON STYLE”. いまさらファンクラブ. 2021年6月25日閲覧。
  24. ^ 日経エンタテインメント!』2009年3月号、日経BP社
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  28. ^ 【エンタがビタミン♪】オードリーから始まった都市伝説「お笑いグランプリは2位が売れる」。ホントかウソか?”. Techinsight (2011年5月4日). 2018年8月20日閲覧。
  29. ^ NON STYLEがM-1参戦を表明”. お笑いナタリー (2009年10月13日). 2018年8月20日閲覧。
  30. ^ M-1 パンクブーブー優勝、NON STYLE後悔なし”. livedoorNEWS (2009年12月21日). 2018年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月20日閲覧。
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外部リンク