AVRE Armoured Vehicle Royal Engineers | |
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超壕用パイプを搭載したチーフテンAVRE | |
種類 | 戦闘工兵車 |
原開発国 | イギリス |
運用史 | |
配備先 | イギリス陸軍王立工兵隊 |
開発史 | |
開発期間 | 1942年 (チャーチル AVRE) |
派生型 |
チャーチル AVRE センチュリオン AVRE チーフテン AVRE トロージャン AVRE |
AVRE (Armoured Vehicle Royal Engineers、またはAssault Vehicle Royal Engineers) は、イギリス陸軍王立工兵隊で運用される戦闘工兵車の呼称である。
1942年8月に行われた連合軍によるディエップ上陸作戦が失敗に終わったいくつかの原因の一つとして、無防備な状態で作業を行う工兵部隊が敵の優先攻撃目標となり、多くの死傷者を出し、また結果的に本来の任務遂行が困難であった事が挙げられた。
この作戦の失敗の後、カナダ軍工兵部隊は前線での作業中に工兵を防護する装甲工兵車両の開発を戦車開発部 (Department of Tank Design, DTD)に提案した。開発はディエップ作戦の戦訓に基づいて行われ、試作車両はチャーチル歩兵戦車、M4シャーマン中戦車、ラム巡航戦車から開発された。これらのうち、最も性能の良かったものがチャーチルをベースにした工兵車両であった。チャーチルの車体側面には昇降用ドアが付いており、これは純粋に戦車として見れば装甲防御力の低い弱点となるのだが、工兵車として見た場合、工兵が前線で身を隠し、また展開するのに使える非常に便利なものであった。また車体の大きいチャーチルには、工兵用の機材を搭載可能な十分なスペースがあった。
砲塔は元々装甲工兵車としては必要では無かったが残されており、ここに本来の戦車砲に変えて290mmペタード臼砲が装着された。この砲は塹壕のような構造物を破砕可能な重さ20kgの爆弾を射程100mまで発射できるもので、開発は1942年9月頃から行われた。ペタード臼砲の再装填は砲塔内からは出来なかったが、チャーチルの車体前方上部の2つのドライバーズハッチのうち一つをスライド式に改造し、ここから安全に再装填する事ができた。
1942年10月にはチャーチルをベースとした工兵車両の発注が行われ、同時にこの車両はAssault Vehicle Royal Engineersと命名された。チャーチルAVREの本格的な試験は1943年から行われた。
1944年から、チャーチルMk.IIIおよびMk.IVをベースとしたチャーチルAVREの量産が開始され、第79機甲師団隷下の王立工兵第1突撃旅団の3個の突撃連隊に配備された。これらの車両はこの部隊で運用された何種類かの特殊車両のベースとなり、これらと合わせてホバーツ・ファニーズと呼ばる事となった。
AVREの名称については、開発された当初は情報秘匿のために"工兵戦車" (Engineer Tank)と称されており[1]、その後1943年頃までは少なくとも"Assault Vehicle Royal Engineers"が正式名称であったが、これを略した"AVRE"という語が普及し、ある時点からAVREの元である本来のフルネームが"Armoured Vehicle Royal Engineers"となった、という事と考えられている。
イギリス陸軍は第二次世界大戦後もチャーチルAVREをしばらく運用しており、またこれ以降に開発された戦闘工兵車にも"AVRE"の名称が受け継がれている。