『SICKS』 | ||||
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THE YELLOW MONKEY の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1996年8月 - 11月
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ジャンル | ロック | |||
時間 | ||||
レーベル |
ファンハウス (SICKS) Ariola Japan (COMPLETE SICKS・リマスター盤) | |||
プロデュース | 吉井和哉 | |||
チャート最高順位 | ||||
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ゴールドディスク | ||||
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THE YELLOW MONKEY アルバム 年表 | ||||
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『SICKS』収録のシングル | ||||
『SICKS』(シックス)は日本のロックバンド、THE YELLOW MONKEYの6枚目のオリジナル・アルバム。1997年1月22日にファンハウスよりリリースされた。
『COMPLETE SICKS』(コンプリート シックス)についても本項にて併記する。
レコード会社を日本コロムビア・TRIADレーベルからファンハウスへの移籍後、第1弾となったアルバム。本作品以降は吉井和哉の単独プロデュースとなった。タイトルの『SICKS』は、6枚目のアルバムであることを表す「SIX」と「ロック(6)」、病気の「SICK」の3つを組み合わせた造語で、大阪にて「JAM」のキャンペーン中に吉井が思いついたものである[1]。完成度の高さから「日本のロックのマスターピース」と称されている[2]。
前作に次いでオリコンチャート初登場1位を獲得。また、これがオリコンアルバムチャートで通算600回目の1位獲得作品であった[3]。累計売上は63万枚(オリコン調べ)[* 1]を売り上げ、オリジナル・アルバムでは自身最大のヒットを記録した。吉井は「JAM」「SPARK」などのヒット曲を含むベスト・アルバム『TRIAD YEARS actI〜THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY』がミリオンを達成したことを踏まえ、「ヒット曲が1曲しか入っていないアルバムは100万人買わないんだなということもよくわかった。『この次覚えてろよ』という気持ち」と語っている[6]ほか、後年のインタビューでは「『SICKS』の実際のセールスは妥当だったと思う。100万枚を目指していたが、近いところまで行ったし、凄い納得した1年だった」と振り返っている[7]。同じくギターの菊地英昭は「望んでいた枚数より下回ったが、大衆向けではないアルバムがこれだけ売れたことは自信になった」と語っている[7]。
レコーディングは前作に続きロンドンで行われた。吉井は本作の制作にあたり「1日3曲録音をノルマ」とし、300曲作成したものからさらに80曲に絞ったのち、その曲の中から厳選したものが本作に収録された楽曲となった[1]。ジャケット写真もロンドンのバタシー発電所にて撮影されている[8]。吉井は当時の状況を「好きなようにやった。楽曲の構成も従来の型を破れた」「自分の中で、音楽がものすごく噴出してるのがわかった」と振り返った[9]。また、本作がリリースされる約1か月半前に、自身初の非公認ベスト・アルバム『TRIAD YEARS actI〜THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY』のリリースが決定したこともあり、吉井は「ベストに負けないアルバムを作ろうという話を毎晩メンバーとしていた」と語っている[10]。
初回生産分のみ、バンド名を印字したステッカーが封入された。
1997年8月8日、イギリスでもリリースされ、イギリス盤にはボーナス・トラックとして「LOVE LOVE SHOW」の英詞バージョンが収録された[* 2]。
吉井本人が最高傑作と自負する作品であり、「『SICKS』は他のバンドにはない音であり、他の邦楽にもない音である」と語る[9]。また、他メンバーが作曲をした「TVのシンガー」「創生児」「HOTEL宇宙船」を絶賛しており、「どの曲も『SICKS』の匂いがする曲」と評価している[10]。メンバー選曲のベスト盤『MOTHER OF ALL THE BEST』にも本作から最多の7曲が収録されており[* 3]、他メンバー作曲の3曲もすべて収録された。
移籍前に所属していた日本コロムビアのディレクターである宗清裕之は、「『SICKS』がなかったらただのポップなバンドとして消費されてたかもしれない。あの時期があったからこそ、THE YELLOW MONKEYは長く愛されるバンドになったんだと思う」「当初はダークな雰囲気、不健康な感じも含めて『今まで押さえつけられてたけど、俺たちの魅力はここなんだ』っていうか。しっぺ返しを食らった感じがあった」とし、「このアルバムは売れないと思っていたが、実際に売れて驚いた」旨を語っている[11]。また、当時THE YELLOW MONKEYのカメラマン(ビデオシューティング)を務めていた高橋栄樹は、「初期のダークな感じがスケールアップして戻ってきた、っていうイメージだったというか。本来はこういう人たちなんだなと思う」とした[11]。
全作詞: 吉井和哉(except 6)、全編曲: THE YELLOW MONKEY。 | |||
# | タイトル | 作曲 | 時間 |
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1. | 「RAINBOW MAN」 | 吉井和哉 | |
2. | 「I CAN BE SHIT, MAMA」 | 吉井和哉 | |
3. | 「楽園」 | 吉井和哉 | |
4. | 「TVのシンガー」 | 菊地英昭 | |
5. | 「紫の空」 | 吉井和哉 | |
6. | 「薬局へ行こうよ」(Instrumental) | 吉井和哉 | |
7. | 「天国旅行」 | 吉井和哉 | |
8. | 「創生児」 | 吉井和哉・菊地英昭 | |
9. | 「HOTEL宇宙船」 | 吉井和哉・廣瀬洋一 | |
10. | 「花吹雪」 | 吉井和哉 | |
11. | 「淡い心だって言ってたよ」 | 吉井和哉 | |
12. | 「見てないようで見てる」 | 吉井和哉 | |
13. | 「人生の終わり (FOR GRANDMOTHER)」 | 吉井和哉 | |
合計時間: |